【衝撃】小田凱人の生い立ちが壮絶!前向きに病気を受け入れる精神力に賞賛の声!

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史上最年少で世界ランキング1位に輝いたプロ車いすテニスプレーヤーの小田凱人選手。

7月にウィンブルドンも制しましたね。

そんな今や日本を代表するアスリートの小田凱人選手がこれまでどのような人生を歩んできたのか調べてみました。

小田凱人の生い立ちが壮絶!

病気と向き合いながら始めた車いすテニス

始めて6年で世界の頂点に

前向きに病気を受け入れる精神力に賞賛の声!

目次

小田凱人の生い立ちが壮絶!

生い立ちについて調べました。

全仏オープン、ウィンブルドン選手権を制した小田凱人選手ですが、幼いころはプロサッカー選手を目指していたそうです。

サッカーでもプロを目指していたみたいなので、本当にスポーツが好きな子供だったんですね。

車いすの生活になったのは、小学校3年生の9歳の時です。

左足に骨肉腫を発症したため、股関節と大腿骨の一部を人工関節にする手術をしたの理由のようです。

骨肉腫とは一度は聞いたことある気がしますが、どんな病気なのか調べました。

骨肉腫は骨に発生する悪性腫瘍(がん)の中で最も頻度の高い代表的ながんです。10歳代の思春期、すなわち中学生や高校生くらいの年齢に発生しやすい病気ですが、約3割は40歳以上で発生します。日本国内でこの病気にかかる人は1年間に200人くらいであり、がんの中では非常にまれな部類に入ります。

引用元:がん情報サービス

子供の発症率が高いんですね。

高橋凱人さんは運動会後にあまりに体が痛く病院を受診したところ、病気が発見されそのまま入院になったそうです。

友達と一緒にボールを追いかけていたのにある日突然サッカーができなくなるなんて想像するだけでもつらい気持ちになります。

「常に脚は痛くて、手術終わって、1カ月、2カ月は寝たきり。毎日、痛くて泣いてっていう生活ばっか。常につらかった。一番は『サッカーはできなくなる』と言われた。退院して、またサッカーに戻りたいって思いは、手術する前にはあったんですけど。もう、これは難しいな」

引用元:テレ朝ニュース

よくよく考えて見れば、たった8年前の出来事なんですよね。

それからたった8年で世界の頂点に立っているなんて驚きでしかありません。

どのようにしてトップアスリートに上り詰めたのでしょうか。

病気と向き合いながら始めた車いすテニス

手術したことによって左右の足のバランスがとれず、リハビリは大変だったそうです。

そんなリハビリをがんばっている小田凱人少年に当時の主治医の先生がいろんなパラスポーツを紹介したのが車いすテニスに出会ったきっかけでした。

「最初は、競技用の車いすがものすごくかっこよく見えたんです(笑) それまで見ていた車いすは病院の重たい車いすや街で見かけるものしか知らなかったので、初めて競技用のものを見てみて、本当に惹かれて『競技用の車いすに乗ってみたい』というのが最初。おもちゃ感覚というのか(笑) それが最初に思ったことですね」

引用:Tennis classic

当時を振り返って「ビビっときた」とも表現していました。

おもちゃ感覚というのが子供らしい感想ですよね。

それから車いすテニスの競技にのめりこんでいったそうですが、このとき憧れていたのが国枝慎吾さんです。

国枝慎吾さんといえば、国民栄誉賞を受賞した「世界のクニエダ」ですよね。

サッカー少年時代は、本田圭佑選手やリオネル・メッシ選手のプレーをずっと見てたそうですが、今度は国枝慎吾さんのプレーを見ていたそうです。

何かに熱中するエネルギーが、リハビリを乗り越えさせたのかもしれませんね。

始めて6年で世界の頂点に

10歳で始めた車いすテニスですが、15歳の頃にはなんとプロ宣言しました。

サッカー時代憧れたメッシ選手が17歳でプロデビューしましたが、それより2年も早くプロの世界に飛び込んでいます。

実は14歳の頃、史上最年少でジュニアの世界王者になっていました。

万全を期してのプロ転向でしたが、翌年の16歳でマスターズを制しました。

わずか6年で世界の頂点に立つなんて快挙ですよね。

小田凱人選手は真面目で練習量も多くこなすストイックな選手だと、コーチが評していました。

サッカーの時もそうですが、もともとの才能の上に夢中に取り組むことがで性格のかもしれません。

それにやはりご家族のサポートがあったのだと思います。

実際にご両親が出ている子供のころの動画がありましたが、一緒にテニスをするお父さんと、献身的にお世話をするお母さんの姿がうつっていました。

命を失う危機な病気を患った息子が6年後に世界で活躍するなんて胸が熱くなりますよね。

前向きに病気を受け入れる精神力に賞賛の声!

世界ランキング1位の小田凱人選手ですが、今でも病気と闘っています。

骨肉腫は再発の可能性もあるそので、3ケ月に1回定期検診を受けているそうです。

各国を転戦して試合してますが、欧州などは飛行機で12時間以上かかりますし、想像以上に体への負担がかかるのではないでしょうか。

そんな中でも常に前向きな発信をしています。

決して夢をあきらめない姿はかっこいいですよね。

先日グローバルビジネス誌「Forbes JAPAN」は「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」(世界を変える30歳未満)を発表しましたが、その中には小田凱人選手の名前もありました。

車いすテニスはマイナースポーツですが小田凱人選手の活躍は日本スポーツ界どころか世界に大きな影響を与えています。

まとめ

今回は、プロ車いすテニスプレーやの小田凱人選手について調べました。

骨肉腫が原因で好きなサッカーができなくなり、その後に車いすテニスを始めたんですね。

そして15歳の時にプロになり16歳で全仏オープンで初優勝します。

年齢だけ見ると順調なアスリート人生を歩んでいるようにも思えますが裏では、本当に血のにじむ努力をしていました。

今後の活躍が楽しみです。

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